ただ好き、それだけ

薔薇を持っている5人組を主に

私が担降りできない理由。



「担降り」とは
ジャニーズファンによる造語で、そのアイドルのファン(担当)であることをやめる(降りる)という意味で用いられている語。

ネットの辞書で調べたら、上記のように書かれていました。「担降り」、その言葉は何度かよく見かけます。ほかに好きなグループができたので担降りします。この言葉はよく目にすると思います。じゃあ、複数担当ではダメなのか。いや、実際には複数担当さんはいくらでもいるし、それは許されてることでもある(と思われる)。では、なぜ担降りというものが存在するのか。


私は2007年に嵐を好きになりました。小学生の頃知り、好きになった私はとにかく嵐に夢中になりました。『大野智』を担当として掲げ、好きなアーティストは必ず嵐の大野智と言い続けていました。しかし、ふと思い返すと大野智ばかりに目がいっていたかといえばそうではない。好きになった当初、翔くんの考え方や立ち向かう姿勢がとにかく好きだったし、ニノの考え方や捉え方が好きだった。時間が経つにつれ相葉ちゃんの明るさに何回も励まされたし、松潤をずっと可愛いと言い続けていた時もあった。そう、担当とはなんなのか。私にはそれすらよく分からないでいました。でもやはり、私には大ちゃんの存在がどこかで大きく、大好きだったことは事実です。実を言えば性格は私が好きなタイプではないし、なんとなくその時『リーダー』と呼ばれていたから気になったというのがきっかけ。でも、気づけば私にとっては大きな存在となっていたし、そんな大野智率いる『仲良しな嵐』がとっても大好きでした。

しかし、時の流れというのは恐ろしくずっと好きでいるというのは難しいもの。好きでいればいるほど不満は出るし、こうあってほしい、このツアーのここはダメだ、なんでこんな曲やるんだ、この前この話したじゃないかなどわがままになっていく一方。とても正直な話、宮城コンは確かに素晴らしかった。素晴らしかったけど、嵐がやりたかったことを押し付けられてるような感じが少しだけありました。それはデジコンでも少し感じたことでもあります。嵐がやりたいことと、ファンが求めてることが少しズレてる気がする。そんな事を考えてしまいました。

さて、Hey! Say! JUMPにハマったのは今年です。たまたまウィークエンダーを見たのがきっかけで、『有岡大貴』という存在を知りました。明るくて、食レポが下手で(褒め言葉)、とにかく可愛くてどんどんハマっていきました。有岡くんきっかけでHey! Say! JUMPを山田以外にもいるのだと知り、メンバーの個性豊かな姿にどんどんハマっていきました。コンサートも今年いく事ができ、席はさほど良くありませんでしたが若い彼ら、歳の近い彼らにどんどん惹かれていきました。

それと同時に、嵐よりもJUMPを見る時間の方が増えていく一方。さあ、とうとう担降りなのかと親にも言われましたがそうじゃない、と私は言いたいのです。

確かに現在はJAMPを見る時間の方が多いのは事実だし、とにかく今は新鮮だ。関係性がやっと見えてきて、少しずつ昔の映像を見てとにかく楽しい。しかし、それと同時に嵐も大好きなのだと再確認する瞬間がある。

Hey! Say! JUMPというグループは、私から見るとデビュー当時のコンサートから見てもとても楽しいし完成度が高い。何よりJr.での実績が高い子たちの集まりだから、Jr.時代の映像を見ていたってとにかく楽しい。しかし、私の中で嵐はそうじゃないのだ。デビュー当時の彼らを好きとは到底言えないし、私の中で彼らのコンサートをしっかり見れるのはTimeから。Hey! Say! JUMPがエリートというのなら、嵐は落ちこぼれだと私は思う。でも、嵐は這い上がってきた。売れない時期を苦しみ、自分たちには何ができるか精一杯考え抜いて今がある。そんな彼らが好きだったし、彼らの努力がようやく実った時に私はとても嬉しかった。そして、その感動が今でも忘れられないのだ。

私は翔くんの『Hip Pop Boogie』という曲が大好きだ。

"こんなゆっくりでいいんだって こんな俺らだってでもいいんだって
こんな景色まで見られるなんて こんな… こんなとこ来てたなんて
この大草原の先には何が待っているのだろう
道がないなら創ればいい その先例え果てていたとしても"


彼らの苦しみ、彼らの夢が叶ったとも言える歌詞。遠回りの道だったけれども夢が叶った、そして新たな道を進んでいる。彼らのそんな前向きで強欲で、でもなんだか引いている姿勢が好きだった。

ハワイコンで、大野智という男は泣きながら「嵐でよかった」と言った時、私も嵐のファンでよかった、大野智の担当でよかったと泣いていた。嵐が見せてくれた景色、嵐が教えてくれた事、全て私の青春であり、私の生きる希望であり、私の目標だった。

彼らを、そして大野智という男を思っていた年月が長いせいで担降りできないというわけではない。彼らの存在は私の中で大きく、揺るぎないことが大きいのかもしれない。


では、Hey! Say! JUMPはと言われると彼らもまた違った意味で面白い。10人だった頃、9人だった今決して多く語られる事はない。そう、彼らはあまり多くの辛い事苦しい事を語らない姿勢だ。もしかしたら私が見ていないだけで、どこかで語ってるかもしれないけれども、私の見ている彼らは常に『アイドル』を貫いている。その姿勢がとても好きだし、続けてほしいと思う。ほかの先輩の刺激は受けてほしいけど、真似はしてほしくない。特に嵐はね。

嵐はどちらかといえば、『アイドル』という枠を外してる気さえする。むしろ、そう望んでさえいる気がする。


さて、最後に掛け持ちについて。私は掛け持ちという存在が嫌いでした。中途半端な思いをするのならやめてほしい、と。でも結局私は掛け持ちをしている。そう、どちらのグループも素敵だし魅力的なのだ。そして想いは変わらない。それでいいのではないかと思う。

もう一つ、担当と好きという感情は私の中では少し違っている。Hey! Say! JUMPの中では薮くんといのちゃんがとにかく好きだ。好きだけど、担当ではない。写真だって雑誌だって彼らを先に見るのに、でも有岡くんが担当という少し変わってるやつ。

そうだな、担当の共通点というのなら「応援したい」っていう気持ちが大きいかな。そんな私は大野ショックから地味に立ち直れていませんが(笑)